リアル あたしんち

昭和平成を生きるスーパーオカンと家族のエピソード

言う?言わない?

私が社会人4年目だったある日の早朝・・・



あれは朝の7時ごろだったか
一人暮らしの私の部屋の電話が鳴った



オカンの声で
「たまちゃん、どないしよ。お父ちゃんがおかしい!!!」
聞くと、父の意識がもうろうとしていて
失禁していると。



これは頭だ!!!
と判断した私は
「それ、頭や!すぐに、うちの病院に救急車で連れてきて!!」
と、私の勤める病院に来るよう母に言い電話を切った。



当時、父は55歳
突然の急変にものすごく不安になり、体中が震えた。





死ぬかもしれない・・・



まさか、そんな・・・まだ死なんといてー---!!!😭
まだ、何にも恩返ししてない・・・😭




怖くて、震えて、立っていることもままならなかったが
震えながら電話のプッシュボタンを押し
なんとか自分の勤める病院の救急外来に電話した。



「父が・・父が・・・」
今にも泣きそうな震える声で、父の病状を説明し
救急車を受け入れてもらえるようお願いした。



そして、私も急いで病院へかけつけた。


私が到着すると
顔見知りの脳神経外科の先生が私に
「大丈夫、大丈夫やからね」と
優しく声をかけて何とか安心させようと寄り添ってくれた。



救急車で到着した父


ストレッチャーに乗る父に
「お父ちゃん、お父ちゃん・・・!」
と声をかけても
しかめっ面した顔をしたまま
目を開けられなかった。






これが最期になったらどうしよう・・・(泣)
と不安になりながら
父の無事を祈った・・・



父はすぐさま
頭部CT検査に連れていかれた。



CTの結果を見たお医者様からすぐに説明があった。




「慢性硬膜下血種ですね」




慢性硬膜下血種💦
その病名を聞いて、やっと安心した。
この病気の患者さんを何度も看護したことがある。



たいていの患者さんが
手術したら、元通りの体に戻る


(もちろん、放っておいたら命にかかわります💦)



とにかく今から手術をしてもらえる
ということで、なんとか安心できました。



頭髪を剃り、手術室に向かった父。
手術室の待機室でオカンと待つ私。



するとオカンが
「おばあちゃん(父の母親)には、黙っとこうと思うねん」
と。



「おばあちゃんも歳やし、こんな病院まで見舞いに来るもの大変やろう。
 いらん心配させん方がええと思って」
と。




ん?
それって、いいのん?




納得できなかった私は
「えー---!!!


 それ、おばあちゃん、可愛そうじゃない?
 歳って言うたって、いくつになっても
 自分の息子のことは心配するし

 もし後で知ったら
 なんで知らせてくれんかったん???

 って思うんちがう???
 病院に見舞いに来るか来ないかは

 おばあちゃんが決めたらいいやん!!」
 



・・とすごい剣幕で言ってしまった。



そんな私の熱弁に負けたのか
オカンはおばあちゃんに父の病状を連絡した。




手術が無事終わった父は
頭全体が三角巾に覆われ、頭からチューブが出ていた。
麻酔がまだ覚めていなかったが
翌日には弱々しくも会話ができるようになっていた。



翌日、オカンが車に乗せて
おばあちゃんを連れてきた




それから2週間もたたず、父もめでたく退院



おばあちゃん、お見舞いに来れてよかったな~
と私は思ったのですが
これって、どうするのが正しかったんでしょうね~



おばあちゃんに、言わずにいようと思ったオカンが正しい?
若いけど、医療者として感じた私の意見が正しい?
どっちなんでしょうね。




それにしても、大事なことを
すぐに言わないオカン
ほんとに、本当にこれからが心配です・・・💧💧💧