リアル あたしんち

昭和平成を生きるスーパーオカンと家族のエピソード

恩師への感謝

私は小学校6年生まで
夏休みの宿題をしたことがありません。
(正確にいうと、一部はやるが、全部はしないという感じ)



もちろん、冬休みの宿題も同じ



それどころか、日々の宿題もろくにせず
毎日遊んでばかりいました。


なので学校に行くと
「なんで、宿題忘れるんやー!!😡」と先生に怒鳴られる



小学校4年生の時は
1つ宿題を忘れるたび
漢字1000字のペナルティがあり


それを放課後に残って書くという。



先生はペナルティを課すことで
おそらく「しんどいから、やった方がいい」と思わせて
宿題をやってこさせよう、という方針だったと思うのですが
私の宿題忘れはなおりませんでした




家でも
オカンに聞かれても
私は「(宿題)やったー」と、ごまかして、遊んでいました






宿題しないといけない、というのは分かってはいるものの
全くやる気が起こらなかったのです。



反省文も書かされたこともありますが
やる気が起こらないので
宿題をしない生活は続いていました



しかし
小学校5年生の時の担任の先生との出会い
私の考えが変わりはじめました



5年生の担任の先生は大杉先生という初めての男の先生でした。

大杉先生は当時50歳くらいで
髭の剃り跡の目立つ、眼鏡をかけた
いかにもオジサンタイプ。


しかし、とても、おおらかで
私が宿題を忘れても、軽く声はかけても
怒鳴る、怒られることはありませんでした



「この先生、なんか違うな・・・」
と感じました。



それまでの先生は女性の先生ばかりで
感情をぶつけられるような怒られ方でした



でも、大杉先生は違っていて



「ちょっと宿題やってみようかな」
という気持ちが芽生えました

そして、その5年生の冬休み。
「宿題を全部やってみようかな」
と思い
やってみると、意外に全部できました。(当たり前💦)



冬休みの宿題を完了させたのは初めて
その時、初めて清々しい気持ちを味わいました✨✨✨



「宿題を完了させる」ということは
けっこう大変だけど、清々しい気持ちになって
気分がいいな、ということを
私は11歳で初めて感じたのです。



それからというもの
私は自分の意思で宿題を完了させることの達成感を感じ
宿題をきちんとやるようになりました



6年生の夏休みの宿題も
締め切りギリギリになりながらも、完了できました。



今ふりかえると
私は自分で自分を「宿題をしない子」「勉強しない子」
と決めつけ



自分がそういう人間であることにあきらめを
感じていた
と思います。



そして、先生から怒られることにストレスを感じ
やる気を失っていた



大杉先生に出会い、叱られなくなり
ストレスがなくなり、心に余裕ができた



そこから変わったのかなと。



子どもだったので、自分でその悪い環境から
抜け出す方法をみつけられずにいました。



私に変わるきっかけをくれたのは
まさに大杉先生という恩師との出会いでした



時はながれ
私の娘の通う中学校が30周年の記念式典を開催した時
式典のパンフレットに「歴代校長」として
あの大杉先生の名前を見つけました



大杉先生はとうに定年を過ぎ
ご存命であればおそらく80歳代



私はあの時の感謝を思い出し
大杉先生の住所を調べ
先生に感謝の手紙を書きました



「私が変わるきっかけをくれたのは先生との出会いでした。
ありがとうございました」

と。



その後、看護師になり、大学院に行き
今、地域に貢献できるように頑張っていること
今の私があるのは、先生のおかげである
と、綴りました。



しばらくすると、大杉先生から
お返事があり
とうに定年をすぎ
今は奥様と畑仕事をする毎日であると。



でも、手紙に書かれた先生の文字は
昔の達筆な先生の美しい文字そのままでした



先生は80歳を超えていましたが
生きている間に、子どものころの感謝を
伝えられて、本当によかったなと思いました



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