リアル あたしんち

昭和平成を生きるスーパーオカンと家族のエピソード

貧乏生活のその先に

気性の激しいオカンとは裏腹に
とても優しい父👨



そんな父に私は今まで怒鳴られたことがありません
たとえ、私が間違っているとしても
それが、なぜ、間違っているのかを説明して
納得させようとしてくれていました



そんな優しい父だけに、少しお人好しなとこがあって
人生で大きな落とし穴にはまってしまったことがありました



父は先代から続く会社を経営していた社長だったのですが
知り合いの借金の保証人になり
その知り合いが夜逃げしてしまったのです。





父は
「もうええ」
と言って、その知り合いを探すことなく
そのまま、借金の肩代わりをすることに。
細かな金額は、当時子どもだった私には知らされるとはありませんでしたが
母の話では、億に近いとか。
その借金の返済で、我が家の会社も倒産
父は働きに出るようになりました。




当然、生活も一変しました。
倒産前はわりに裕福だった我が家でしたが
夕飯のおかずが、ぬか漬けだけに変わる日もありました



もちろん、たまに、おかずがあっても、一人あたりの量は少ないので
口の右側におかずをためながら、左側でひたすらお米を食べ続けるという
ご飯の食べ方をしていました。



幸い、ばあちゃんが畑をしていたので
野菜だけはありました。(それがぬか漬けになるわけで)


もちろん、私たち子どもの服なんかも買ってもらえる余裕もないので、
いつもおさがりを着ていましたし
おやつを買ってもらえることもなかったので
毎日、お母さんがクッキーを焼いてくれてたり
おやつがある友達を羨ましくも思いました



でも、我が家には幸い、イチジクや柿の木があったり
秋は、ばあちゃんがサツマイモを植えてくれてたので
そういうものが、おやつになっていました。



夏は電気代がかかるからと
扇風機やスイカで暑さをしのいだり
冬の暖房は、コタツと灯油ストーブにお湯を沸かす
ような感じで過ごしておりました。



それでも、家計が本当にきつかったらしく
オカンによく
「あんあたら、トイレは学校でしておいで」
と言われました。
古い家なので、トイレは昔ながらの汲み取り式。
汲み取りに来てもらうのに3000円~4000円ほどかかるそうで
その言葉を言われた時は
本当に我が家は貧乏なんだな~
と、子ども心に悲しく
「絶対友達には言えない」
と、知らず知らずのうちに、友達との壁を感じていました



高校受験の時も
みんな滑り止めとして私学を受験してから
公立を受験していたんですが
私学の受験料は当時2万円ほど
そんなお金を出してもらうわけにはいかず
私と弟は、専願で自転車で行ける距離の県立高校を受験


それでも、進学校だったので、親子ともども満足でした。




高校卒業後の進路を考える時も
学費の高い大学は自分の中で即却下。
弟は、進学せず、就職しました。



でも、そんな貧乏な生活を経験したからこそ
私は、お金がなくても生活できる強さを身につけ
結果的には、金銭面で自立したい!
という気持ちが芽生え、看護師になりました。



貧乏だったけれど
親に負担をかけたくない思いで
公立の学校に行こうと勉強だけはしました

おかげで、地元の国立大学の看護短大に合格し
その後、自力で大学院にも進むことができました。



今では
貧乏だけでは終わらない
人としての強かさを、この家族との生活を通して
身に着けることができたな~
と思ってます💛



昔は恥ずかしくて言えなかった貧乏の話も
今では、友達にサラリと言えるようになり
友達との壁を感じることもなくなり
人として、成長できたな~と感じています。



【韓国で食べたサムゲタン】